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富貴寺の鈴鬼と呼ばれている男女面

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島根県佐陀大社宮川家所蔵面

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行われ、そこに小鬼と呼ばれる鬼に扮した子供たちが出る。小鬼は本堂の周囲を三回まわり、本尊に挨拶する。子鬼は本尊に仕える童子という。小鬼は檀家の村々から出る。私が見学した昭和四十七年は小鬼二十二人であった。法会のあと、鬼追いとなり、大人の鬼役が小鬼をつれて本堂のまわりを三回まわる。鬼没は明火と斧を持ち、小鬼は杖を持つ。いろいろな踊りが鬼と小鬼によって踊られる。終り頃、鬼が餅を投げる。鬼・小鬼の踊りの所作に走りという言葉がでてくる。呪師走からきたのであろうか。近江寺の追儺の鬼は追われる悪鬼とは考えられておらず、村人に幸せをもたらし、悪霊を払う鬼だと考えられている。中国伝来の方相氏・振子を思い出させる。修正会の追儺の鬼が悪鬼ではなく、災いを払う人々に幸せをもたらす力強い鬼だというのは全国に多い。
節分の豆撒き
追儺の行事が節分の行事と結びついていることはよく知られている。節分というのは四季の移り変る時のことをいう。その中でも冬から春に移り変る時が特別に注目され、福を家の内に呼び寄せ、災いをなす鬼を外に追い出す豆撒きの行事が一般によく知られている。これは室町時代の頃、追儺と節分の豆撒きが結びついたといわれている。二つの行事が接近して行われていたからであろう。
鬼は昔から恐ろしい悪いものだとするイメージが強かった。超能力をもつ鬼に勝つことは不可能に近いことであった。そこへ中国から儺を追う行事が入ってきた。それは恐ろしい表情をした方相氏が振子と呼ばれる小鬼をつれて悪鬼を追うという行事であった。
鬼は目に見えないものであっただけに恐ろしさはより強く不気味なものがあったに違いなかった。だから方相氏はその恐ろしい鬼に対するものだからより恐ろしい表情が必要であったのであろう。四つ目というのも強さを表現するものであったろう。仏を守護するという行道面の八部衆の一つである乾田婆という役の者がつける面は四つ目である。方相氏は一般には浸透せず、龍夫・毘沙門天が方相氏の役を演じた形となった。その鬼は修正会の際の追儺の場合、最初悪鬼であったが、それが時代が降るに従い、悪霊を払い人々に幸せを与える力強い鬼とされるようになった。民間に残る追儺会にそうした鬼が多く見られる点興味深い。
…<昭和女子大学教授>

 

 

 

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